2008年5月28日水曜日

風情を残したいJapanese taste


近くに築100年以上経つ家があるのですが、100年ほど前のガラス戸を数十枚捨ててしまったとのことでした。もう少し早ければもらえたのですが残念です。新しいものではなかなか風情が出せないですからね。
古いガラス戸を通して見た苔むした庭もなかなかよいものです。少々風が入ってきてもそれも自然と一体感があっていいのではないかと思います。古い旅館でも行かないと味わえなくなってきました。
昭和10年頃に、日本中を旅行した建築家のモースの書いた『日本美の再発見』という本岩波から出てますが是非読んでください。日本の家屋に泊まったとき,障子から入ってくる月明かり、遠くから聞こえてくる汽車の音、---
外と中が一体になった日本の家屋の素晴らしさに触れています。ブル―丿タウトは江戸から明治、昭和になるにつれて日本のよさがどんどん失われていくことを憂いてました。今の日本を見たらどう思うでしょうかね。











2008年5月24日土曜日

Ukiyoe  Hirosige 広重

広重の浮世絵と1910年代に映された同じ場所の写真です。今はこの場所はどうなっているんでしょうかね?多分この橋はもうないだろうな。



広重についてウィキヘぺディアからコピーしました。いいのかな?

歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日1858年10月12日)は、浮世絵師江戸町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。

広重は、江戸の下級武士・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生、幼名徳太郎、のち重右衛門また徳兵衛とも称す。幼い頃から絵心が勝り、文化8年(1811年)(15歳)頃、はじめ初代歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員でことわられ、歌川豊廣(1773年?-1828年)に入門、翌文化9年(1812年)に歌川廣重の名を与えられた。
11年後の文政6年(1823年)には、家業の火消同心を辞め、絵師を専門の職業にした。
天保元年(1830年)一幽斎廣重と改め、花鳥を描いていたが、文政11年(1828年)師の豊廣の死のあとは風景画をおもに制作した。天保3年 (1832年)、一立齋(いちりゅうさい)と号を改めた。
安政5年に没するが、死因はコレラだったと伝えられている。

[1]歌川広重の作品は、ヨーロッパアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。
この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはのフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
ヒロシゲブルーは、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつともされている。





2008年5月21日水曜日

Ukiyoe と古き日本







広重の浮世絵の平塚ですが同じ平塚の明治の様子だそうです。多分広重が現代に生まれていたらこのような絵は生まれないだろうなと思います。昔の日本では風景と建物塀などがどこでも自然に溶け込んでいたと思います。日本人がどんどん自然から遠ざかっていくのが残念です。

2008年5月19日月曜日

A samurai residence in Kagosima






昨年鹿児島県知覧の 武家屋敷を見に行きました。私の住んでいる大分県の杵築や臼杵にも武家屋敷がありますがかなり趣が違っています。知覧の武家屋敷は生垣に特色があります。今まで生垣というとまっすぐに刈り込まれているものしか見たことがありませんでしたが、知覧の生垣は見事な曲線を描いており、大変美しく趣きがありました。撮った写真をインストールするのを忘れていたので資料から写真と説明文を少し紹介します。
『知覧は南北朝時代以降、薩摩島津家の支配下の佐多氏の領地であったが、文禄4年(1595)から種子島氏の所領になり、佐多氏が旧領知覧に復帰したのは、慶長15年(1610)佐多忠充のときである。しかしそれは、知覧の一部を給地高として与えれてたにすぎなかった。佐多氏が知覧の領主になったのは延宝5年(1677)のことであった。久達は薩摩島津藩主 島津光久・綱貴・吉貴の3代の藩主に仕え、その功績により、正徳元年(1711)島津姓を称することが許された。知覧の麓は第18代島津久峯(藩主継豊の三男)が、延享2年(1745)養父久豪の後を継ぎ、御仮屋(知覧領主の居宅)を中心に形成し、防備を兼ねた城塁型の武家屋敷の区画と、道路割りをしたものである。薩摩島津藩では鹿児島の鶴丸城しか持てなかったので、領内に113ヶ所の外城を持った。外城は城ではなく、人をもって城とする軍事上の拠点であった。その外城の防備を郷士にあたらせ、その郷士の居住するところを麓と云った。郷士は平常は農業を営み、非常時に備えて武技を磨くと云う生活であった。知覧麓武家屋敷群は第18代島津久峯の1760年ごろに形成されたもので、石垣の上には大刈り込みの生垣が続き、麓全体が母ヶ岳を借景とし、江戸時代そのままの姿を今に残している。通りは、各所で折れ曲がったり、T字型になっていて戦術的な仕掛けがなされている。街路両側には側溝がなく、直立した石垣で整えられ、その上に美しく剪定された生垣が武家屋敷を囲っていて、知覧麓の町並みはこの石垣と生垣とに特色がある。枯山水を中心とした庭園は、現在七庭園が公開されていて、それぞれ趣があり、母ヶ岳を借景とした庭づくりがなされている。石段を上がっての屋敷の入口には瓦葺きの門がある。その奥の突き当たりに沖縄のように、ヒンプンのような屏風風の塀があり、そこを廻って屋敷内に入ると、主屋が現れ枯山水の庭園が広がる。知覧の庭園は江戸中期に、藩主の参勤交替に随行した知覧領主の島津久峯の家臣らが、京都の文化に接する機会が多く、庭園は京都の庭師に造らせたとも云われている。』







A scene of Japan




滋賀県の五個荘の写真です。昔は家の周りが堀になっていたり、清流が流れていた町がたくさんありました。今ではこういう光景はあまりみられなくなりました。このように錦鯉colored carpが町の中の小さな川に泳いでいる姿はよく見られます。私が子どもの頃、このような小さな清流でおばあちゃんやおばさんたちが洗い物をしている姿をよく見ました。残念ながら今は埋められてしまってなくなってしまっています。全国的に道路拡張で埋められたり、フタをかぶせられたりしてしまったようです。農村でも農地整理が行われ、子どものころ魚とりなどして遊んだ小川がほとんどみられなくなりました。これも環境破壊の一つだと思っています。


2008年5月17日土曜日

Scenery of old Japan

私の住んでいる宇佐市の数十年前の写真です。私が子どもの頃、山村に行けばまだこの写真に近い風景が見られたような記憶がかすかにあります。子供心にもすごくのどかで美しい郷愁を誘うような印象が脳裏に残っています。茅葺屋根Thatchの農家の庭でウリ坊(猪の子供)が遊んでいる光景をはっきりと覚えています。もうこのような風景は残念ながら日本ではほとんどみられなくなりました。しかし是に近い光景は山間部に行けばわずかに見られることがあるのでカメラを常に携帯して今のうちに撮っておこうと思っています。なぜならば以前お気に入りの茅葺の家があったのですが先月そこを通ったとき壊されていたからです。江戸時代や明治の初期に日本を訪れた外国人は皆が日本の素晴らしい箱庭のような景色を絶賛しています。

2008年5月16日金曜日

Shade garden


日陰で育つ植物の写真を撮ってみました。シランは二株ほど他の場所から移したら3年ほどでこのくらいに増えました。土が固く大変条件のよくない場所ですが元気に育っています。この写真のシダ類Fernsのシノブは直径1mほどあります。相当の年月を経ていると思います。しだの下の瓦は捨ててあったものを拾ってきて並べてみたらけっこう立派になりました。シダの右となりのフキは植えた覚えがないのに庭中に育っています。家族で食べても食べきれません。左はアオキです。家には4種類ほどのアオキが育っています。日陰であればたいていのところで育ちます。中国の地震China_EarthquakeやミャンマーのサイクロンMyanmar_ Cycloneで被災者たちが食べ物に困っている様子がTVで映されていましたが、食料自給率が40%を下まわる日本で広域の災害が起こったり、世界的な異常気象で食料がなくなったら、大変な事になると思ってます。先週、食べられる野草の勉強会を開きましたが、けっこう周りには食べられる草がありました。私が中学生の頃、海で1時間ほどあればバケツいっぱいのうなぎを捕ったりしていましたが今ではほとんど見かけません。どんどん自然が失われています。それと今思い出したけど、去年コオロギが鳴きませんでした。


2008年5月15日木曜日

Pottery

父が生前に作ったたぬきの焼き物です。父は作った焼き物のほとんどを人にあげてしまって、わずかしか残っていません。今まで庭にぽんと置いたままだったので、これからはもっと大切にしようと思います。今思い出したけど、もう数十年も前の事だけど父の焼き物についてNHKが取材に来て小学生の私もTVに出ました。今でもはっきり覚えているのだけど、釜から出す場面を撮ろうと言う事になったのだけど、そのときはすでに前日焼き終わっていたので、でき上がったものをもう一度窯の中にいれ、いかにも焼きあがったばかりに見せかけるため、窯から焼き物を出したとたんに私が触ってみて、アチチ!-----と大げさに演技しました。今まで確か7回ほどTVに出たけど、思い出したついでに2回目にTVに出たときのことを少し書きます。教員になって、わたしのクラスの子が腹痛で医者に行きました。その日の家庭科の実習でカレーライスを作ったのですが多くの子が食べ過ぎてお腹が痛くなりました。たまたま次の日に病院に行った子の隣に新聞社の記者がいて、調理実習で食べた後にほとんどの子が腹痛を訴えたこと、そして次の日、十数人の子が学校を休んだこと(たまたま風邪の子が多かった)などを話したところ、食中毒ではないかと取材に来て、よく確認しないまま、食中毒の疑いがあると、記事になりました。その後たくさんのマスコミがやって来て担任としてのを求められました。可愛そうだったには家庭科の先生で、保健所だったと思うけど一日中調査が入っておりました。結局食中毒でも何でもありませんでした。

2008年5月14日水曜日

Hosta sagae(ギボウシサガエ)


玄関にあるホスタです。右のホスタはサガエです。育て始めて2年目です高さ60cm幅1,5mになるそうです。サガエは山形県寒河江市の民家で発見されたものを、1985年に品種登録され、世界的に有名な品種だそうです。鮮緑の葉にクリーム色(黄斑)の覆輪が美しく入る大型品種です。葉柄が立ち上がり、すっきりと美しい株姿になる名品です。多くのホスタの品種改良に使われ、欧米でも人気の高い品種だそうです。日本のギボウシが世界的に知られている事は意外と日本人は知らないんではないかな?ギボウシだけの協会もいくつもあるようです。ちなみにニワトリのチャボも欧米にはいくつものクラブがあるようです。(写真は私が飼っているチャボです)






2008年5月11日日曜日

Border collie



今日はいい天気なので庭で写真を撮りました。ボーダーコリーのハナちゃんとチャボのおんどりはいつもおっかけっこをしています。別に教えたわけでもないけど、ハナに追っかけろと言うと追っかけますが、やめろと言うとすぐにやめます。人の言葉が理解できる賢い犬です。30mほどのワイヤーにリードをつないでますので結構運動はできているとは思いますが、時々海岸に連れて行って砂浜で思いっきり走らせています。こんなに走っても大丈夫だろうかと思うくらい全力でかなり長い時間走っています。よく考えてみると、ほとんどの犬が、散歩で運動させているようですが主人のスピードに合わせてうっくり歩いているだけなので、犬にとっては物足りないだろうなと思います。特にこのようなSheepdogや猟犬などはジッとしている事が苦痛に感じるのではないかなと思います。

2008年5月9日金曜日

Border collie





孵卵器に水が入ってないのに気づかずに一羽だけ天草大王のヒヨコが 生まれました。遊び相手がいないので庭に出しているとボーダーコリーのハナちゃんが遊んでくれます。ボーダーコリーは最も頭のよい犬種だそうですが。人の言葉をよく理解します。ニワトリが脱走して捕まえようとすると反対方向から追い込んできてくれて手伝ってくれます。何も教えなくてもシープドッグSheepdogとしての資質が備わっているようです。

ミャンマーで起こったサイクロンで10万人を超える犠牲者が出た可能性があるとのニュースがありました。私は風速50メーターを越える台風を経験した事があります。空を倉庫の屋根が丸ごと頭上を通り過ぎ、コンクリートの電柱がユラユラとゆれており、恐怖心を感じました。作ったばかりの車庫は700メーターほど先の畑に丸ごと飛んでしまっていました。これから先、地球温暖化により巨大な台風がこれから多く発生する可能性が大変強いと専門家が言っていました。大地震も起こる可能性が強いと言う事も聞きました。地球だけでなく太陽系すべての惑星で変化が起こっているそうです。今回ミャンマーでは政府の援助が全く行き届いてない村が数多くあるとのことでした。スイスを訪ねて言ったとき、どこの家もいざと言うときのために半年分一年分と食料などを備蓄しているようでした。日本ではかなりの広範囲での災害が起こったとき、家族単位での災害に対する準備ができてないため多くの犠牲が出てもおかしくないような気がします。




2008年5月7日水曜日

Prophecy

パソコンの前の窓から写真を撮って見ました。新芽がきれいです。昨日今年になって初めて蚊に刺されました。これから暑くなってくると蚊がいっぱい出てくるので、今のうちに外で食事 使用ということになり庭でバーベキューBarbecueをしました。キャンプ気分で最高でした。久しぶりのビールも大変おいしかったです。一昨日、ジョせりー丿The prophetの予言を読んだのですが、このままでは人類も地球も天変地異Extraordinary natural phenomenonを迎えてしまいそうです。みんなもうすうす気づいていると思うけど、僕もこのままでは人類は破滅に向かっていると思います。ただ知っている限りにおいてもかなりの人たちがよい方向へと修正しつつあるので、少しは起こるべきものを回避できるかもしれないと思っています。このような田舎に住んでいると、まだまだ気候に恵まれて、自然にかこまれたこのような生活がいつまでも続くように感じます。でもすこしずつ微妙な変化も起きています。この2年ほどコオロギGrigが鳴かなくなりました。バッタも目に見えて少なくなりました。ちなみに私の家では畑を含めて一切の農薬Agricultural chemicalsや化学肥料Chemical fertilizerなどは使っていません。どこか見えないところで大きな変化が起きているのかもしれません。



2008年5月2日金曜日

Yellow flower

知り合いの家から少し分けてもらった名前も知らない黄色い花が条件の良くない硬い土の上に咲いています。何ヶ月も咲きつづけます。この花の上には梅の木Plum treeがあるのですが毎年大量のノダレ(アブラムシ)がついて大変だったのですが殺虫剤Insecticideはまきたくないし牛乳を薄めてまいたらよいとも聞いたけどもったいないしいい方法がないか考えていました。考えついたなかで最も効果的だったのは、非常に簡単な方法でした。それは水を行きよいよくかけることでした。こんな簡単で最も効果的な方法がどの本にも載ってませんでした。どうしてなんでしょうかね?でもアブラムシを食べてくれるてんとう虫まで吹き飛ばすのでこれがチョット気になるところです。