2008年5月28日水曜日
風情を残したいJapanese taste
2008年5月24日土曜日
Ukiyoe Hirosige 広重
広重の浮世絵と1910年代に映された同じ場所の写真です。今はこの場所はどうなっているんでしょうかね?多分この橋はもうないだろうな。
広重についてウィキヘぺディアからコピーしました。いいのかな?
歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)は、浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
広重は、江戸の下級武士・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生、幼名徳太郎、のち重右衛門また徳兵衛とも称す。幼い頃から絵心が勝り、文化8年(1811年)(15歳)頃、はじめ初代歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員でことわられ、歌川豊廣(1773年?-1828年)に入門、翌文化9年(1812年)に歌川廣重の名を与えられた。
11年後の文政6年(1823年)には、家業の火消同心を辞め、絵師を専門の職業にした。
天保元年(1830年)一幽斎廣重と改め、花鳥を描いていたが、文政11年(1828年)師の豊廣の死のあとは風景画をおもに制作した。天保3年 (1832年)、一立齋(いちりゅうさい)と号を改めた。
安政5年に没するが、死因はコレラだったと伝えられている。
[1]歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。
この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはのフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
ヒロシゲブルーは、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつともされている。
2008年5月21日水曜日
2008年5月19日月曜日
A samurai residence in Kagosima
『知覧は南北朝時代以降、薩摩島津家の支配下の佐多氏の領地であったが、文禄4年(1595)から種子島氏の所領になり、佐多氏が旧領知覧に復帰したのは、慶長15年(1610)佐多忠充のときである。しかしそれは、知覧の一部を給地高として与えれてたにすぎなかった。佐多氏が知覧の領主になったのは延宝5年(1677)のことであった。久達は薩摩島津藩主 島津光久・綱貴・吉貴の3代の藩主に仕え、その功績により、正徳元年(1711)島津姓を称することが許された。知覧の麓は第18代島津久峯(藩主継豊の三男)が、延享2年(1745)養父久豪の後を継ぎ、御仮屋(知覧領主の居宅)を中心に形成し、防備を兼ねた城塁型の武家屋敷の区画と、道路割りをしたものである。薩摩島津藩では鹿児島の鶴丸城しか持てなかったので、領内に113ヶ所の外城を持った。外城は城ではなく、人をもって城とする軍事上の拠点であった。その外城の防備を郷士にあたらせ、その郷士の居住するところを麓と云った。郷士は平常は農業を営み、非常時に備えて武技を磨くと云う生活であった。知覧麓武家屋敷群は第18代島津久峯の1760年ごろに形成されたもので、石垣の上には大刈り込みの生垣が続き、麓全体が母ヶ岳を借景とし、江戸時代そのままの姿を今に残している。通りは、各所で折れ曲がったり、T字型になっていて戦術的な仕掛けがなされている。街路両側には側溝がなく、直立した石垣で整えられ、その上に美しく剪定された生垣が武家屋敷を囲っていて、知覧麓の町並みはこの石垣と生垣とに特色がある。枯山水を中心とした庭園は、現在七庭園が公開されていて、それぞれ趣があり、母ヶ岳を借景とした庭づくりがなされている。石段を上がっての屋敷の入口には瓦葺きの門がある。その奥の突き当たりに沖縄のように、ヒンプンのような屏風風の塀があり、そこを廻って屋敷内に入ると、主屋が現れ枯山水の庭園が広がる。知覧の庭園は江戸中期に、藩主の参勤交替に随行した知覧領主の島津久峯の家臣らが、京都の文化に接する機会が多く、庭園は京都の庭師に造らせたとも云われている。』
2008年5月17日土曜日
Scenery of old Japan
私の住んでいる宇佐市の数十年前の写真です。私が子どもの頃、山村に行けばまだこの写真に近い風景が見られたような記憶がかすかにあります。子供心にもすごくのどかで美しい郷愁を誘うような印象が脳裏に残っています。茅葺屋根Thatchの農家の庭でウリ坊(猪の子供)が遊んでいる光景をはっきりと覚えています。もうこのような風景は残念ながら日本ではほとんどみられなくなりました。しかし是に近い光景は山間部に行けばわずかに見られることがあるのでカメラを常に携帯して今のうちに撮っておこうと思っています。なぜならば以前お気に入りの茅葺の家があったのですが先月そこを通ったとき壊されていたからです。江戸時代や明治の初期に日本を訪れた外国人は皆が日本の素晴らしい箱庭のような景色を絶賛しています。
2008年5月16日金曜日
Shade garden
2008年5月15日木曜日
Pottery
父が生前に作ったたぬきの焼き物です。父は作った焼き物のほとんどを人にあげてしまって、わずかしか残っていません。今まで庭にぽんと置いたままだったので、これからはもっと大切にしようと思います。今思い出したけど、もう数十年も前の事だけど父の焼き物についてNHKが取材に来て小学生の私もTVに出ました。今でもはっきり覚えているのだけど、釜から出す場面を撮ろうと言う事になったのだけど、そのときはすでに前日焼き終わっていたので、でき上がったものをもう一度窯の中にいれ、いかにも焼きあがったばかりに見せかけるため、窯から焼き物を出したとたんに私が触ってみて、アチチ!-----と大げさに演技しました。今まで確か7回ほどTVに出たけど、思い出したついでに2回目にTVに出たときのことを少し書きます。教員になって、わたしのクラスの子が腹痛で医者に行きました。その日の家庭科の実習でカレーライスを作ったのですが多くの子が食べ過ぎてお腹が痛くなりました。たまたま次の日に病院に行った子の隣に新聞社の記者がいて、調理実習で食べた後にほとんどの子が腹痛を訴えたこと、そして次の日、十数人の子が学校を休んだこと(たまたま風邪の子が多かった)などを話したところ、食中毒ではないかと取材に来て、よく確認しないまま、食中毒の疑いがあると、記事になりました。その後たくさんのマスコミがやって来て担任としてのを求められました。可愛そうだったには家庭科の先生で、保健所だったと思うけど一日中調査が入っておりました。結局食中毒でも何でもありませんでした。
2008年5月14日水曜日
Hosta sagae(ギボウシサガエ)
2008年5月11日日曜日
Border collie
2008年5月9日金曜日
Border collie
2008年5月7日水曜日
Prophecy
パソコンの前の窓から写真を撮って見ました。新芽がきれいです。昨日今年になって初めて蚊に刺されました。これから暑くなってくると蚊がいっぱい出てくるので、今のうちに外で食事 使用ということになり庭でバーベキューBarbecueをしました。キャンプ気分で最高でした。久しぶりのビールも大変おいしかったです。一昨日、ジョせりー丿The prophetの予言を読んだのですが、このままでは人類も地球も天変地異Extraordinary natural phenomenonを迎えてしまいそうです。みんなもうすうす気づいていると思うけど、僕もこのままでは人類は破滅に向かっていると思います。ただ知っている限りにおいてもかなりの人たちがよい方向へと修正しつつあるので、少しは起こるべきものを回避できるかもしれないと思っています。このような田舎に住んでいると、まだまだ気候に恵まれて、自然にかこまれたこのような生活がいつまでも続くように感じます。でもすこしずつ微妙な変化も起きています。この2年ほどコオロギGrigが鳴かなくなりました。バッタも目に見えて少なくなりました。ちなみに私の家では畑を含めて一切の農薬Agricultural chemicalsや化学肥料Chemical fertilizerなどは使っていません。どこか見えないところで大きな変化が起きているのかもしれません。